ニュージーランドでインフルエンザにかかった

ニュージーランドのバックパッカーと呼ばれる旅人の安宿を利用していた時の思い出です。

私はワーキングホリデーを利用してニュージーランドに渡航しました。あまりお金の持ち合わせも無いまま現地に行き、安く寝泊りできるところを探した結果、とあるバックパッカーを見つけて利用していました。

そのバックパッカーは語学学校からも近く、日本人がオーナーということもあって、安心して利用できました。

そのバックパッカーで知り合ったのがアイルランド人、ドイツ人、アメリカ人、韓国人、フランス人、カナダ人でした。

学校から帰ると、大体彼らも帰宅していて共同リビングでまったりしていました。毎日毎日顔を合わせる内に次第に打ち解けていきました。この時、英語が堪能でなくてもなんとかなるもんだなと感じたものです。

しかし、ある時私はまさかのインフルエンザにかかってしまいました。凄まじい高熱と吐き気、頭痛に立ち上がることができず部屋に常備していた水も底を付き、こんな狭い部屋のしかもニュージーランドの安宿で死ぬことになるのかと思ったことを未だに鮮明に覚えています。

軽く気を失った後、かなり汗をかいたこともあり、フラフラしながらも立ち上がることができ、共同リビングへと足を運びました。とにかく水が飲みたかった。

リビングにはいつものメンバーがいて、中でも仲良くしていたアイルランド人がパジャマ姿の俺を見るなり近寄ってきて、心配してくれました。あの時の優しさは忘れない。

韓国人の女の子は、ビタミン取らないとだめだよ、なんて言いながら私にトマトケチャップを渡してきました。あれは本気だったのか冗談だったのか、未だに分かりません。いい思い出です。


若きウェルテルの悩み@宮島

学生時代に方々を気ままに旅をするのが好きでした。
そのときは姉と一緒に四国を一周したのち、
しまなみ海道から本州に入り広島のユースホステルに宿泊していたときのことです。

共用スペースにはたくさんの外国の方がいて、
私たち姉妹は片言ではありましたが、
あるイギリスの紳士と会話を楽しんでいました。

その様子を明らかにじっと見つめる一人の外国人青年がいて、
私たちとイギリス紳士は会話へと招き入れました。
彼はフランスから一人旅に来た青年で、
日本語も英語もそれほど堪能ではありませんでした。
(イギリス人紳士との発音の差異があったのかもしれません。)

ですから終止口数は少なく表情も物憂げです。
翌日はどこへ行くのかなど話を進めていたところ、
そのフランス人青年は宮島へ行くということがわかりました。
実は私たち姉妹の旅程も安芸の宮島散策であったのです。
それが分かるや否や、無口であったフランス青年は
私たちと一緒に是非宮島に行きたい。自分一人だと心細い…
ということを必死で訴えかけてきたのです。

私たちは宮島観光のあともすぐに出向きたいところがあり
出発は早朝になるということを伝え、それでもOKか?と尋ねましたが、
とにかく一人じゃ心細いというので
私たちの時間に合わせて一緒に宿を出て向かうことになりました。

翌朝ユースホステルの玄関前にはきちんとフランス青年はいて
私たちを待ってくれていました。
まさか外国の方と一緒に旅をするとは思ってもみませんでしたが、これも縁なのです。

宮島までの周遊船の中でも彼は静かでした。
自己主張の強い外国人というイメージは彼をとおして払拭され、
若きウェルテルの悩みと言わんばかりの物憂げな表情に、
さすがフランスは違うねと姉とささやきあいながら彼を見ていました。

私たちが訪れたとき、ちょうど大鳥居の改修工事が行われており
周りに足場が組まれていたのですが、
宮島に降り立ってからのフランス青年は
今まで見たこともないくらい表情が生き生きとしてきました。

そして歩きながら、ビューティフル、グッド…と
私たちでも分かる英単語でしきりに感動を伝えてくれました。
私たちも初めて訪れた宮島でありながらも
自国が褒められていることが嬉しくて鼻が高いような気分でした。

彼はゆっくり宮島全体を見て回りたいというので
先を急ぐ私たち姉妹と行動を別にすることになりました。
Eメールアドレスの交換をしてその後も何回かは連絡を取り合っていましたが、
この旅での最高の思い出として
彼と過ごした貴重な時間が忘れられません。