ジャマイカ人の露天商との交流で知った世界

ジャマイカ人の露天商との交流で知った世界 国際交流

まだ若い学生で、世間知らずだった頃の話です。

その頃、英語に熱中していて英会話を勉強していた私は、とにかく外国人と知り合いになって話をしたくて、たまりませんでした。

街で電車の切符を買えずに困っている外国人がいれば声をかけ、道に迷っている外国人がいれば道案内をし、電車で隣に外国人が座っていれば話し掛け、意気投合すればそのまま街を案内する・・・という風に、これが国際交流だとばかりに外国人に声をかけまくっていたのです。

 

ある日、大阪梅田の路上で、アクセサリーやぬいぐるみを露店で売っている外国人男性ふたりに話しかけました。

アクセサリーを物色しながら、
「どこから来たの」
「日本にはどれくらいいるの」
「どうして日本に来たの」
と矢継ぎ早に質問していると、ふたりのうちの一人のイタリア人男性が怒り始めたのです。

 

「なぜそんなことを答えないといけないのか。買わないのなら、どこかに行ってくれ」と。

それまでは誰とでもフレンドリーに友達になれると思っていた当時の私は、ひるむどころか

「どうしてそんなことで怒るのか」
と言い返し、もうひとりのジャマイカ人男性がなだめに入って、その場はおさまりました。

 

それからは、そのジャマイカ人男性と少し話をし、イタリア人男性も、さっきは怒りすぎたと歩み寄ってきて、私も不躾だったと反省し、おわびにアクセサリーを買い、以来、露店の前を通りかかれば言葉を交わすようになりました。

毎週のように梅田の街に出ていたので、ときどき差し入れに缶ジュースなどを持って行って、露店の横に座ってジャマイカの話を聞いたり、一緒に太鼓を叩いたりしていました。

 

ある日、そろそろ日が暮れる頃に、いつものように差し入れを持って訪ねたときのことです。

ひとしきりおしゃべりをして、トイレに行きたくなった私は
「お手洗い行ってくるわ。ええと、ここから一番近いトイレはどこだったかな」と立ち上がりました。

私が
「あ、あそこにあったよね」
と思い出したのと、ジャマイカ人の彼が
「案内しようか」
と言ったのがほぼ同時だったと思います。

彼は、突然火のついたように怒り出したのです。
「なぜ、さっきはトイレはどこかと聞いたのに、案内しようと言ったら知っていると言うんだ。嘘だろう。自分がトイレに連れ込んで強盗でもするかと疑っているのか」と。

私がいくら、独り言の一部としてどこだったかなと言っただけで、本当にトイレの場所を思い出しただけだと言っても、興奮しきった彼は全く聞いてくれず、
「帰れ!!」と怒鳴られました。

わけがわからず、私も腹がたったのですぐにその場を後にしました。

 

それから数ヶ月して、偶然街で再会したときには誤解が解けて仲直りをしたのですが、その数日後に彼は、父親が病気だからとジャマイカに帰っていきました。

今考えると、自分はなんて世間知らずで軽率だったのだろうかと思います。

人にはそれぞれの事情があるのだから、外国人だからとか国際交流だからと、初対面の人に根掘り葉掘り個人的なことを尋ねてよいことにはなりませんし、世の中にはいろんな人がいるのに、すぐに友達だと勝手に思ってしまうのが、今にして思うと自分でも危なっかしいです。

ジャマイカ人の彼も言っていました。
「本当の友達は、苦労と寝食を共にした人間だけだと思ってる。だから、君とはこうして話はするけれど、友達にはなれてないんだよ」

 

あれから何十年も経ち、私もそれなりに色々な経験をしましたが、若い日の危なっかしい思い出として、今でも強烈に覚えている出来事です。

 

当たり前のことですが、外国人と一言で言っても、そのバックグラウンドは様々です。

海外に頻繁に出るようになり、日本人はとてもお人好しで優しい人種だと感じるようになりました。

相手にも日本人の感覚を求めて接していると、傷つくことや悲しくなることもたくさんあります。

何人であっても、相手をよく見て、ゆっくりと関係を築くことが大事だと痛切に思います。

writer: 元世間知らず 47歳 女性

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