英国人銀行員の日本語教師体験

日本語の教材を作ってカセットテープに録音しました。 英語

若い頃、日本語教師のグループがあり、私もそこに所属していたことがありました。
まだ、外国人に日本語教育が始まった頃の草分け的グループで、当時の事務所は、麻布にありました。
麻布と言っても、木造の小さなアパートの小さい和室。そこにこたつがあって、何とも暖かい感じの事務所でした。

私は、そこで銀行勤めをしている英国人を紹介され、マンションを訪問して家庭教師的に日本語を教えるという仕事をしていました。
この英国人のマンションは、当時四谷麹町にあり日本テレビを通り越して、そのマンションに通ったものでした。

当時、日本語教師として、初めて英国人の男性を担当したのですが、日本語講師という仕事自体も現在のように組織化されていなくて、また、教材も的確なテキストも少なく、どちらかと言えば「これは本です。」的な教え方をする教材が多く、音を利用したり、絵を利用したり、会話体で教えるようなものがなかった頃のことです。

私も、その英国人男性も「これは本です。」的なレッスンには関心はなく、彼ももっとフレキシブルな設定での日本語会話を望んでいました。その英国人は「ここは寿司バーだ。ここでの日本語会話をしよう。」とか面白い設定を考えてくれたりしましたので、私もできるだけ立体的なレッスンをするように心がけました。

そうした中で、忘れられない思い出があります。
私が教えていた英国人は、銀行に勤めていましたが、多忙でなかなかレッスンが受けられなかったため、暇な折に聞いてもらえるように、カセットテープに日本語と英語会話を吹き込んで自家製の生の日本語会話テープを造りました。

そして、それを「あとで聞いてください。」とその英国人に渡しました。ところが、茶目っ気のある彼は「今、聞いてみたい。」と言いだし、それをステレオにかけました。
彼のステレオは、当時珍しかった音量の素晴らしい4チャンネルステレオでした。その素晴らしいステレオの四方八方から、私の声が響き渡るその恥ずかしさは、穴があったら入りたいような心境でした。

音量が余りに素晴らしいので、部屋中が私の声で満ち溢れ、響き渡りました。英国人は、私の英語の発音はきれいだと褒めてはくれましたが、いたたまれない恥ずかしさと、けれど、一方、高品質のステレオから響きわたる私の英語と日本語は、そう悪くないではないかと若干の快感めいたものも感じたのでした。

結局、同氏は銀行業務が多忙を極め、とうとう日本語のレッスンは続けられなくなりました。一年程経って、この日本語グループは寄付を募り法人になり、表通りに出て近くのビルに転居しました。何となく入所当初の素朴な暖かみは感じられなくなり、同時に東京の郊外から通っていた私も、遠い距離に疲れてしまい、この英国の男性が退会したのをキッカケに、私もグループを辞めてしまいました。

時折、その時のことを思い出し、その英国人は、その後、私のテープを少しは聞いてくれたのだろうかと思うこともあります。

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